いじめについて  (24.8.23)
(24.8.23)

はじめに
平成24年、
大津の中学生の自殺事件が報道され、今更ながら教育現場である学校と教育委員会の対応に飽きれる。
その後、デヴィ夫人がこの事件の関係者と揉めている、みたいなニュースがあって、
何で夫人が関わって来るのか、を知りたくて検索してみた。
それがきっかけで、この事件の背景が色々見えてきた。

いじめは子供の世界だけの問題ではなく、大人の世界にも当たり前に存在している。
では、いじめられる側はどうしたらいいのか。自殺するしかないのか。

いじめる側やいじめられる側の心理、いじめの構造、社会的な問題など、
いじめに関する詳しい内容を解説するのは専門家に任せて、

ここでは、
大津の自殺事件について何が起きたのか、をまずまとめてみた。

自殺は本人も辛い思いをしての結果である、とは思う。
けれど、自殺は生き残った者に苦しみを残す。

自殺しようとする人の、
その時点での考え方や物の見方(視野)はとても狭くて、
それだけが解決方法だ、と思い込んでしまう。

今、自殺を考えている人、
これから自殺を考えるかも知れない人に対して、

「もう自殺するしかない、というその考え方は思い違い・誤解・早合点だ」

ということを伝えたい。

ではどうしたら良いのか。
子供の場合、大人の場合に分けて、
いじめを受けた時にどう対処したら良いか、をまとめてみた。

まず、大津の自殺事件について経過を振り返る。


大津市の事件の概略
昨年(2011年)10月に大津市の中学生男子が自殺をした。
家族はそれ以前にいじめについて公的機関に相談。
学校の教師も現場を目撃していて、生徒に注意していた。

今年2月、自殺した男子の両親が、
「自殺はいじめが原因である」として、
大津市と加害者の同級生3人を相手に損害賠償請求の提訴。

その後学校側が生徒にアンケート調査をしていたことが分かり、
アンケート結果の取り扱い方がずさんだったことが判明。

自殺後、学校関係者が何をしていたのか、の経過が明らかになる中で、

2011年11月、加害者とされる子供の母親が、
「実は自分たちが被害者だ。いじめなど存在しなかった」というビラを配り、
アンケート結果が公表されないように、と主張して保護者会を紛糾させた。
この母親は当時PTA会長をしていた、
ということも分かる。

教育委員会と学校はいじめはなかったとする声明を出したが、
いじめを目撃した生徒への口止めの効果もなく、マスコミに数々の実態がばれ始める。

その後、
これはいじめというより傷害致死事件ではないか、
という見方が浮上し、警察が捜査を開始。

今年から大津市長になった女性市長がいじめの存在を認めて謝罪。和解を申し出る。

(※以上はマスコミ報道やインターネット上の情報を元に経過を要約。
  事実と異なる内容が含まれている可能性があります。)


この事件についてインターネット上には、
加害者とされる少年3人の
実名やプロフィール、内一人の両親の実名、プロフィール、顔写真などが掲載される。
また、担任、校長、教育長などの実名、顔写真も掲載される。


デヴィ夫人がこのいじめ事件についてブログで取り上げ、
ネット上にあった、
加害者とされる子供の父親とスタイリストの女性が笑顔で缶ビールを持っている写真を使用。
それについて、スタイリストが、
イニシャルの誤記によって、自分が加害者の母親である、と誤解された、
としてデヴィ夫人に謝罪を要求。
提訴も辞さない、という話をスポーツ新聞社に伝え、「デヴィ夫人提訴される」という見出しで報道。
これに対し、デヴィ夫人側が憤慨して提訴を弁護士に一任。(2012.8.3)


いじめと自殺
少年・少女の自殺があると、いじめの存在が囁(ささや)かれる。
学校や家庭・地域社会など、子供達の生活環境の内、
特に学校の友達関係の中でいじめが蔓延しているのかもしれない。

今回のいじめ事件は悲しいことである。
また、こうしたことは現代にはよくある話だ、というのも悲しい現実。

いじめは、「いじめる側」と「いじめられる側」に分かれる。
自分がいじめの対象にされないためには、常にいじめる側にいる必要がある。
一緒に手出しをしようと、何もせずに見守ろうと同じ。
あなたも同罪。一蓮托生(いちれんたくしょう)。
そうやっていじめは子供達の人間関係の中に存在し続ける。

人をいじめておもしろがる。或いは保身(ほしん)を図る。
それは歪(ゆが)んだ人間心理だ、ということに子供たちは気付かない。
いじめの加害者側のつながりは友達でもなんでもない。
仲間を裏切らないための足枷(あしかせ)でしかない。

おかしいことはおかしい、とはっきり言えないのは、
「正直者は馬鹿を見る」「出る釘は打たれる」という大人の教育の結果なのか。
処世術なのか。

少数の人を不快にさせて、大勢が楽しむことが歓迎されるか。
少数も大勢も皆を楽しませることが歓迎されるか。

考えてみれば簡単なこと。

自分がされて不快なことは、他の人にしない。
自分がされて気持ち良いことを、他の人にもしてあげる。

それが人間関係の基本。


リアクション芸人
リアクション芸人という人たちがいる。
自ら痛いこと、危険なことを体験して、周りがそれを見て笑う。
笑いをとって本人たちも満足するらしい。

しかしそれは芸でもなんでもない。
そうしたことはやらないのが普通。
周囲の予想を裏切って、人がやらない危険なことをやって関心を集めよう、
というのは悲しいこと。

そうした大人の勘違いがテレビでもてはやされ、
子供たちは、こうすれば受けるのか、人気者になれるのか、と誤解する。
そして、自らできないことは、誰かにやらせてそれを見ておもしろがる。

ふざけ、冗談のつもり、が繰り返されて、いつか相手の苦痛・不快を意識しなくなる。
或いは、苦痛・不快を承知でおもしろがる。
そしてことが大きくなると、「冗談だった」「けがをするとは思わなかった」と言い訳をする。
刃物を持参して「殺すつもりはなかった」と言っているのと同じ。


加害者と被害者
いじめている認識があろうとなかろうと、
相手に苦痛を与える行為は傷害罪。いじめた側は加害者。
ふざけてやったとか、遊びの中でやった、というのは言い訳でしかない。
そうしたものの分別は、子供であっても身に付けるべきこと。
大人はそれを教えるべき。

生きているものは言い訳が言える。
事件として扱われても、未成年者は補導や少年院送致で社会復帰ができる。
では、自殺した被害者は?
いじめがなければ死ぬこともなかった、という自殺者の訴えは、
生きてる人にどうやって伝えれば良いのか。

いじめを苦にした自殺は立証が難しい。
いじめた側が行動を認めても、「そんなに深刻なものだとは思わなかった」と言えばそれまで。
誰が見てもそれはいじめです、と言っても主観の相違。

いじめと自殺との因果関係を立証するのも難しい。
同じことをされても、苦痛は主観だから、人によっては何でもない場合もある。
また、たとえ立証されても、自殺した人は生き返らない。
そう、全てはもう遅い。
自殺者を出してから何を言っても、何をやってももう遅い。


馬鹿な教育関係者の大人
いじめと自殺の立証は難しいが、だからと言って、
学校や教育委員会が「いじめはなかった」と言い切ることはできない。
少なくとも、自殺した子供がいて、その子はいじめられていた、という事実がある。
「いじめはなかった」という発言は、学校や教育委員会の無責任さの表れ。
「いじめはなかった」と言い切ることは「きちんと調査をしていない」と言っているのと同じ。

被害者の名前は公表され、
「いじめはなかった」と記者会見で言い切る大津市教育委員会の男性の氏名は非公開。
教育に携わる者で、それも責任ある立場のいい年をした大人が、
自分の氏名を公表しないで「いじめはなかった」という公式発言をし、
それをおかしい、と指摘もしないで報道するマスコミ。

こんな茶番を繰り返していては、
いじめに苦しむ子供は誰に救いを求めれば良いのか。
自殺した子供はどうすれば良かったのか。

二度とこうした不幸を繰り返さないために、
大人は、そして子供たちはどうしたら良い、というのか。

自殺者を出してから何を言っても、何をやってももう遅い。
だから、大事なことは自殺者を出さないこと。
いじめをなくすことができればそれに越したことはない。
けれど、現実はすぐには変わらない。


緊急対策
今、いじめに苦しむ子供を目の前にして、
今、何ができるか、と言えば、

いじめが存在する学校には、登校する必要はない。
無理に友達関係を継続する必要はない。

当たり前の話。


学校や友達関係は、本来は楽しい、快いもののはず。
明日も学校に行きたい、友達に会いたい、という前向きな気持ちで通うのが学校。

それが毎日苦痛であるなら、そんな学校は行くべきではない。
そんな学校の友達関係は、本当の友達関係ではない。

いじめられる側にも原因がある、というのは嘘。
だから本人が苦しんで良い、自殺して良い、ということにはならない。

友達関係がうまくいかず、その原因が本人の行動にある場合、
何故うまくいかないのか、を本人が考えることは必要なこと。
そうしたことは誰にでもある。失敗を重ねて、同じ失敗を繰り返さないように学習する。
それは学業と共に必要な成長過程。

しかし、だからいじめられても仕方がない、とは言えない。

「友達ができなくて辛い、孤立して辛い」というのと、
「いじめられて辛い」というのでは、問題が違う。

「友達ができなくて辛い、孤立して辛い」のは、本人個人の問題。

「いじめられて辛い」のは、加害者がいて、自分が被害者として辛い、ということ。


今の学校だけが生きる場所ではない。
学校の勉強が必要なら、長い人生の中でいつでもできる。
今、その学校にしがみつく必要性がどこまであるのか。

本人も家族も、
「学校や友達関係と、本人の辛さと、どちらが大事か」を考えるべき。


馬鹿な大人の社会
昔から社会の歪みが指摘されているが、最近、
「先輩警察官が女性警察官にセクハラ」というニュースが報道された。

タイトルを見た時、これは外国の事件だろう、と思っていたらなんと神奈川県警。
先輩である男性警察官4人がカラオケで飲んでいる時に、
近く他部署へ異動する後輩女性警察官を呼び出し、
異動先の上司をよく知っている、と言って、服を脱ぐように強要したり、キスをしたりした、
という。
被害者は、逆らうと勤務を続ける上で不利になると思って従った、という。

後報では、
男性警察官の4人全員がセクハラをしたのではなく、その内の2人がやった。
その2人は「ふざけてやっただけだ」と言っているという。

被害者は異動後、上司に相談して事件が発覚。
神奈川県警の記者会見では、立件は難しい、と一度は発言。
その後批難されて立件を視野に入れて検討、と発言を訂正。

飽きれた話。

大人がこれでは子供はどうすれば良いのか。
腕力や発言力、立場などの優位者が、自分より下の者をいじめて良い訳がない。

大人の社会でもいじめは珍しくはない。悲しいことだがどこにでもある話。


いじめを受けたら
子供編
どこにでもあるいじめだから、いつ自分が標的にされるか分からない。
程度の差はあっても、身体的、精神的に苦痛や不快を感じたらそれはもういじめ。
原因がどこにあっても、そうした苦痛を受け続けなければいけないという義務はない。
私は苦痛を受けている、と声を上げるべき。
相手に対して、自分は苦痛や不快を受けている、と伝えるべき。

それができない場合は、
まず自分に対して「私は苦痛を受けている」と自覚する。
このままでは耐えられない、と思ったら、ではどうするか。

解決方法を相談できる人がいれば相談する。
それでいじめから解放されるかどうかはやってみなければ分からない。
相談できる人がいない場合は、自分で自分を守るしかない。

いじめが学校で起きているなら、その学校には行かない。
学校はそこだけではない。

親に相談して学校や友達関係でのいじめが問題になれば、無理して行かなくても済む。
親が理解してくれなければ、児童相談所、警察など、外部の大人に相談する。

家族の理解が得られずに、
家から無理に登校させられる場合は、一度は登校してすぐに外部の大人に相談する。
それを繰り返す。
自分を守るのは自分。

自殺を思いつくのは一時的。それは後になれば早合点、誤解だったと気づく。
自殺は今の苦しみを解決してはくれない。
残ったものの苦しみは救いようがない。

自分を責めてはいけない。
自分で自分を守り、しぶとく、したたかに生きる。
今は辛くても、未来には可能性がある。だから早まってはいけない。


大人編
同僚からのいじめや、上司からのパワーハラスメント、異性からのセクシャルハラスメントなど、
色々なケースがある。
どちらにしても、自分がいじめを受けいている事実を認める。
そして、自分はその行為が苦痛・不快である、と相手に伝える。
それでもやまなければ、
いつ、どこで、誰から、どんなことをされたか、の詳細をメモする。
できれば、本人の前で、「あなたは今、私にこうしましたね?」とメモをとる。

営業成績追及、叱咤激励、などいじめの言い訳はなんとでもなる。
本人が苦痛や不快を感じた時点で、それはいじめだ、と自分が自覚する。

そして、相談できる相手を探す。
職場の中では人脈があったり、出世に響くことなどを気にして、
言いたいことも言えないで我慢する風潮があるかもしれない。

しかし、そこで客観的に考える。
同僚をいじめる会社に未来はあるのか?
その組織に人間性を求められなければ、そこにしがみつく必要はない。
そう、職場はそこだけではない。
そこにこだわる理由がなければ、当たり前の人間関係が持てる職場に移動するべき。

自殺を思いつくのは一時的。それは後になれば早合点・誤解だったと気づく。
自殺は今の苦しみを解決してはくれない。
残ったものの苦しみは救いようがない。

自分を責めてはいけない。
自分で自分を守り、しぶとく、したたかに生きる。
今は辛くても、未来には可能性がある。だから早まってはいけない。



おわりに
大津の中学生自殺事件では、
子供を教育することを仕事にしている大人が、
「自分たちの保身のために事実をどう隠すか」の見本を子供たちに示している。
何とも言いようがない。この馬鹿な大人たちの給料は税金。

大人の世界も馬鹿なことがまかり通っている。

この飽きれた状態をどうするかは専門家に任せて、
いじめられる側はどうしたらいいのか、についてまとめてみました。

表面的で、中途半端な内容です。
あれこれと材料を集めて内容を膨らませることより、
今、この状況で何が言えるのか、をまず伝えよう、と思ってこうした内容になりました。

このページを見て、
自殺は勘違い・早合点だった、と気づく人が一人でもいてくれたら、
自殺を思いとどまってくれる人が一人でもいてくれたら幸いです。



※私は特定の政治的・思想的・宗教的な団体には所属していません。
 特定の主義・主張も持っていません。