受験

 

まえがき

これを書いている今は、13年秋。

そろそろ寒さが増してきて、世の中では紅葉とともに、受験の色が濃くなる季節である。

中学校ではとっくに進路の面接が始まり、やがて志望校が決まり、受験校が決まる。

そんな季節に、高校受験を例に挙げながら、受験についての思いをまとめてみました。

 

避けられない悩み

長い人生の中で、学校を受験する回数は一体何回だろう。

高校、大学、専門学校・・・。最近では、小学校、中学校まで受験するという。

今の日本の社会で生きていく以上、受験はどうしても避けられない。

受験の度に思い知らされるのが、現実と理想とのギャップ。

人はいつもそれに悩まされる。

希望の学校に受かればいい。けれど、競争率があれば、受験者全員は受からない。

誰かが受かれば、誰かが落ちる。決められた枠の中に入れる人数は決まっている。

合格ラインが決められている場合もある。

レベルの高い私立もあるが、一般に公立高校の場合は、私立と違い、

入学者数が学校経営に大きく影響する訳ではないから尚更である。

 

本人希望があっての受験

受験は強制ではない。あくまで本人の希望があっての受験である。

いやなら受験をしなければいい。

高校に行かなければ生きていけないという訳ではない。

中学卒で働いている人は沢山いる。高校を諦めるなら早い方がいい。

しかし、大半の人は諦めない。仕方ないから受験する。

これが受験を暗いものにしている。嫌々やっても受験。前向きにやっても受験。

受験に変わりはない。どうせやるなら明るく、前向きにやったほうが健康的。

家族も友達も気を使わないで済む。自分も楽である。

せっかくの機会だ。一丁、運試しにやってみるか。

自分がどれだけやれるか、試してみるか。

どうせ避けられない受験なら、ひとつ前向きに取り組んでみよう、

と、考えられたら・・・・・。

 

合格に必要なもの

合格するためには何が必要か。

合格できる学校を選ぶ。これは当然である。

無理な高望みは所詮無理。

まず、現実を認める。

これは今更仕方がない。現実から目を背けても何も変わらない。

 

努力次第で何とかなる、という場合は、努力しなければ駄目だ、ということ。

勘違いをしてはいけない。

努力するのは学校の先生でも親でもない。自分である。

努力する気持ちがあるかないか。これをまず自分で決める。

ある、というならやるしかない。できるところまでやってみるしかない。

努力する気持ちがない、というなら無理はするべきではない。

あきらめるのは早い方がいい。

努力しないで入れる所を探すべきである。

 

受験勉強

受験勉強は必要だ。合格ラインのレベルを維持しなければならない。

学力の維持だけでいいのか。いや、違う。

今しかできないことをする。受験とはこういうものだ、と体験する。

それが今後の人生のプラスになる。

受験はこの先も待っている。

試験に対する心構え、本番で実力を出すための対策。

自分はやるべき受験勉強をやった、という自信。

それが、緊張したり上がったりせずに試験に挑む糧となる。

一度これらを経験した者と、未経験のものでは受け止め方が違う。

免疫ができる。受験とはこういうもの、と淡々と受け止める者は強い。

 

一番大事なもの

後は何が必要だろう。

絶対欠かせてはいけないものがある。

それは、受験行為そのものである。

試験日に受験会場に行き、試験を受ける。これが絶対に欠かせない。

いくら沢山の勉強をしても、いくら合格間違いなしの模擬試験の結果を受け取っても、

本番の受験に参加できなければ、0点である。

では、本番の試験に参加するにはどうしたらいいか。

健康管理と維持。それに尽きる。

殆どの人が経験する高校受験。最近では大学や専門学校の受験も多くなっているが、

どういう訳か、日本の受験時期は寒い冬。風邪が流行り、雪が降る時期である。

気持ちは焦り、夜通しで勉強する。それはわかる。そうでもしなければ落ち着かない。

結果は開けてみないとわからない。不安は募る。

だから、安心するために、無理をする。

ここで肝心なのは、余力を残すことである。

冷静に見て、今更焦ってもどうにもならないのは分かっている。

それならば、息が切れるまでやろうとやるまいと、結果には大差はない、と気付く。

ある程度やれることをやったら、あとは腹をくくるしかない。

人生、あきらめることも必要である。

 

ゲーム参加が必要条件

例えばトランプで神経衰弱のゲームをする。

ゲームに勝つにはそのゲームに参加しなければならない。

それから、勝つために努力をする。

ある人は、記憶力を高めるために、普段から練習をするかも知れない。

カードを覚えるコツを身につけようとするかもしれない。

勘が頼りのゲームであっても、勝つために勘を働かせる。

そして後は運まかせ。

 

ここで大事なのは結果ではない、ということ。

問題は結果ではなく、過程にある。

 

結果より過程

大事なのは過程だ、とはどういうことか。

トランプでいえば、勝った、負けたは結果である。

それは仕方がないこと。誰かが勝ち誰かが負ける。

それがゲームであり、それがあるからおもしろい。

いつも勝つ、絶対に勝つ。そんなゲームがあったとしたら、

続けてやろうとするだろうか。

勝つか負けるかわからない。その危うさがゲームの魅力であり、

人を夢中にさせる。

勝つか負けるかわからないゲームの最中が楽しいのである。

ゲームが終った瞬間、勝てば嬉しい。それは目的を達成した嬉しさ、満足感だが、

一瞬のことである。勝った、ただそれだけである。

ワクワクドキドキのゲーム中の楽しさが恋しくて、人はまたゲームをする。

ゲームをする過程が楽しくなければ、そのゲームを繰り返しやろうとはしない。

 

過程とは取り組み方

受験もゲームだと考えたらどうなるか。

参加することがまず必要だ。

合格・不合格が結果である。

では、大事なのは・・・・・そう、過程である。

自分がどれだけ努力をしたか。自分が満足できるほどの努力をしたか。

受験勉強にどう取り組んだかが過程である。

自分は沢山の時間を受験勉強につぎ込んだ、だから満足だ、ということになるのか。

いや、時間の多さではない。いくら時間をつぎこんだとしても、

満足できない人はいる。時間の多さではない。

では何か。

時間の多さではなく、取り組む姿勢、取り組み方である。

自分はこういう内容の受験勉強をする、と決める。

いきあたりばったりでは、メリハリがないから、とりあえず形を決める。

これこれ、こういうやり方で取り組んで、後は結果待ち。運に任せる。

もし運良く合格という目標に達成できたら満足。

もし、達成できなくても、自分なりの努力をしたんだから悔いはない。

そう言える取り組み方をしたい。

悔いを残さない取り組み方。それをまず考える必要がある。

 

取り組み方の中味

普段の学校での勉強時間以外の、受験勉強の時間について考えてみる。

例えば、一日、合計2時間を勉強時間に当てる。

タイマーをかけて、時間はきっちり測る。

1時間やったら、30分は休憩する。休憩は必ず入れる。

集中力の持続時間には限界がある。脳が疲労する。疲労したら休憩させないと

回復できない。疲労を蓄積させるだけでは脳は充分に機能できない。

休憩時間は勉強以外のことでリラックスする。

テレビを見る、音楽を聴く、netで遊ぶ、雑誌を見る・・・。なんでもいいから、

自分がリラックスできるもので30分を過ごす。

その代わり、1時間の中では集中する。

タイマーが鳴るまで、時間の経過は気にならない。それくらいに集中する。

1時間やって30分の休憩後、もう1時間。それで終りにする。

この2時間の勉強時間以外では、受験勉強のことはできるだけ考えない。

無理なく自分のペースを守る。

遊ぶときはしっかり遊ぶ。ぼ〜〜っとするときは、しっかりぼ〜〜っとする。

 

量より質

勉強時間の一日2時間と3時間を比較する。

満足感は3時間の方かもしれない。

しかし、現実にはこんなことも考えられる。

気持ちが集中できず、

「今頃テレビじゃ何やってるんだろ」 「明日は何するんだっけ」と、

他のことを考えながらの3時間と、

「ふんふん、これはこういうことか、なるほど、なるほど」と、

集中した2時間。

参考書のページの進み具合は3時間の方が上。

しかし、身に付いた理解力、知識の量は2時間の方が上。

そう、理解と知識の量が重要である。時間の量ではない。

 

人それぞれ

一日2時間の勉強。これはあくまで例である。

1時間が30分の人、合計2時間が3時間の人もいる。5時間の人もいる。

いや、時間を決めずにだらだらやるのが合っている、という人もいる。

その人にあったスタイルで受験勉強に取り組む。

スタイルは人それぞれに違って当然。問題は、無理なく毎日継続できるか。

人の真似ではなく、自分のペースで維持できる勉強内容。それが重要である。

そして、継続する。

達成感を得るためには、継続が必要である。

 

いつから始めるか

始まりをいつにするかは、自分で決める。

今すぐか、受験の1ヶ月前からか。3ヶ月前から。半年前から。一年前から。

始まりはいつでも構わない。悔いなく受験を終らせるために。

自分の力量は自分が一番よく分かっている。

受験に必要な参考書は分かっている。

参考書のこれだけを済ませるためには一日何ページをやらなければならないか。

計算すればすぐ分かる。

本一冊をクリアーするのに、ある人は一ヶ月かかるかも知れない。

ある人は三ヶ月かかるかも知れない。

自分はこれだけの量をクリアーするのにどれくらいかかるのか。

自分が一番よく分かっている。

無理のない程度に計画を立て、無理のない程度に継続する。

この「無理のない程度」が重要である。

 

無理な計画は破綻する

無理をしても結果は知れている。高い希望を抱くのはいい。

けれど、希望と現実は必ずしも一致しない。

自分は自分にできる範囲で、自分なりの努力をする。

そのためには無理をしてはいけないのである。

張りつめた糸は切れ易い。フル回転のエンジンはオーバーヒートを起こし易い。

余力を残して継続する。継続のためには無理は厳禁。

 

継続期間

いつまで継続するか。本番までか。いや、早まってはいけない。

本番の時期を考える。風邪が流行り、寒い時期だ。

せめて、受験本番1週間前まで、いや、3日前までの受験勉強。

受験当日までの残り3日間は、体調維持に集中する。

しっかり食べ、しっかり眠る。勉強が気になっても、敢えてやらない。

ここは我慢。遊ぶも良し、ぼ〜〜っとするのも良し。

大事なのは体調をベストに保つこと。

焦る気持ちは分かるけれど、今更遅い。もう充分にやった、と自分を褒める。

褒めちぎる。そして本番に向けて準備をする。

 

何の準備か。

物の準備は当然する。

受験票、筆記用具、ハンカチ、ちり紙・・・。

それ以外に忘れていけないのが、交通手段の確認。

 

交通手段の確認

自宅から試験会場までのルートの把握は勿論である。

余裕を持った態勢で臨むなら、早目に会場について一息入れたいもの。

雪が降って交通が乱れることも良くある話。

試験会場の集合時間の1時間前に到着をする。となると、所要時間を差し引いて、

余裕を持って自宅を出るのは何時にするか。

7時か、6時半か。

例えば7時に自宅を出るとする。出かける前の準備がこれまた肝心である。

 

受験前日

正月に空に上げる凧の準備。

受験と凧と何の関係があるか。それは後でわかる。

おもちゃ屋・駄菓子やで買っておいた本物の凧があれば、それを出しておく。

本物がなければメモ紙に凧の絵を描く。紙の大きさは何でもいい。

正月に空に上げる凧の絵。奴でも四角でもなんでもいい。

描いたら荷物と一緒に置く。

 

受験当日

本番の朝、起床時間は、出かける1時間前にしたい。やることは沢山ある。

朝食

朝食はしっかる食べる。脳が活発に働くには糖分が必要である。

普段朝食を食べない人は、ジュース等糖分の入ったものを飲むのもいい。

バス停・駅などで待つ間、チョコやキャンディーを口に含むのもいい。

ポケットにはそれらを入れておく。

 

排泄

起床、朝食、そして排泄。このリズムは大切である。

ウ○チ君を家でする。家のトイレにウ○チ君を残す。

運を残して試験に臨むのである。

さて、これで出かけるのか、というとまだやることはある。

 

持ち物の確認

受験票、筆記用具、ハンカチ、ちり紙、その他・・・・・。

寒さ対策に使い捨てカイロ(ホカロン)などをポケットに入れる。

チョコやキャンディーとは別にするのは言うまでもない。

ここで重要なことは、ポケットティッシュ。

いつものお出かけ時より、多めにポケットに入れる。

 

ポケットティッシュ

試験は魔物。何が起こるかわからない。緊張すると消化器に影響する。

試験中に急にお腹が痛くなることがある。不思議ではない。

我慢できずにトイレに駆け込む。

下痢をする。ホッと一息。さて、トイレットペーパーでお尻を拭いて・・・。

オオーw(*゜o゜*)w

ペーパーがない。肝心な時にない。この狭い空間の中、どこにもない。

「そんなバカな!!」 

と思ってももう遅い。時間は刻々と過ぎて行く。

まだ試験の途中だ。このままトイレに入っている訳にはいかない。

といって、下痢をした後、拭かずに出る訳にもいかない。

身動きがとれないもどかしさ。ここでハッと思いつく。

「そうだ! ポケットティッシュだ!」。ポケットを探る。ガサゴソ・・・。

「おっ! いつもより多目にあるじゃないかっ! これならお尻をしっかり拭けるっ!」

神に感謝。紙に感謝。

と、こういう場面を思い描けば、

「ポケットに多目にポケットティッシュ」の意味が分かって頂けると思う。

ポケットティッシュを入れておけばいいんだ、とバッグに入れておいては駄目。

あくまでポケットにポケットティッシュ。

 

出かける前

さぁ、持ち物はしっかり持った。

そろそろ出かける時間だ。

ここで忘れてはならないのが、お出かけの儀式だ。

前日に用意しておいた凧。或いは紙に描いておいた凧の絵。これを玄関に置く。

靴を履き、凧或いは凧の絵を土間に置いて、片方の靴で3回踏む。

トントントン。凧を軽く踏みつける。

踏まれた凧は揚がらないのである。

 

今、 鼻で「フン」と笑ったでしょ?。「クスッ」と馬鹿にしたでしょ?。

そんなおまじないで効果があるか、って疑ってるでしょ。

試験中の雰囲気を想像してご覧なさい。

知らない人ばっかりの中で、みんながみんな緊張してる。

係員の「始めてください」の声とともに、一斉に試験用紙をめくる音「パサリ」

シ〜〜ンとした試験会場。聞こえるのは、カタカタと鉛筆の音、カタカタ・・・・・。

集中していつもの通りにできれば良し。

でも、もしかしたら必要以上に緊張してしまうかもしれない。

周りのみんなが全員、自分より頭が良く思えて、自分だけがお馬鹿さんに思えて、

答えがわかっても「これで本当に合っているのか?」と、余計なことまで

考えてしまう。落ち着かない。いつものように取り組めない。

聞こえるのは、カタカタと鉛筆の音、カタカタ・・・・・。

と、ここで、思い出す。「踏まれた凧は揚がらない」

 あれ?これはどういう意味だっけ?

 なんで玄関で凧を踏んだんだ? どうしてだ?

と、ことの始まりから思い出す。

自分はやるだけはやったじゃないか。

自分なりの準備をしてその結果を試しに来てるんだ。

実力を発揮するために凧を踏んだんだ。

な〜〜んだ、忘れてた。「今更じたばたしても仕方がない」

と、気持ちが楽になるのである。

いざという時の備えは、実際に使わなくても「備えがある」というだけで

役に立つのである。

 

受験本番

さぁ、試験開始だ。

準備は万全。後は緊張してのぼせ上がらず、普段の通りに挑む。

やるしかない。結果は運に任せる。

 

受験終了後

さて、受験終了後、何を思うだろうか。

「自分なりの受験の取り組みができた」「もうやるべきことはやった」「全て終った」

と満足感に浸れるだろうか。それとも、

「あそこで失敗した。ああすれば良かった」「どうしてあんな勘違いをしたんだろう」

と悔やむだろうか。

時間は元には戻せない。

やるだけのことをやり、自分なりに努力をしたのなら、ここは自分を褒めるべきである。

合格、不合格を決めるのは自分ではない。

後は自分の手の届かない所で決められる。

結果を待つしかない。

 

受験勉強を振り返って、「やるだけはやった」と自分を褒められる。

そう言えるような、受験勉強をしたいもの。

 

高校受験は通過点

人の一生を大体80年だとする。

15才で経験する高校受験が、残りの約65年を決めるのか。

いい高校、いい大学、いい会社・・・。

それがいい人生、満足できる人生なのか。

ふと、そんなことを考える。

長い人生。

同じ生きるなら、自分の満足できる人生を生きたい。

残り65年の人生の中で、高校受験はただの通過点である。

やり直しはいくらでもできる。

そもそも、15才で一生を決めるのが無理というもの。

 

高校入学がすべてか

無理をして入った高校。息切れしながら過ごす高校生活。

次の大学受験、就職試験が待つ、無理な高校生活。

それが自分の望む高校生活なら、それも良し。

しかし、無理な生活は破綻し易い。

入学が目標であるなら、途中で退学しても何も問題ない。

しかし、違うはず。

入学は単に出発点。

高校卒業が高校生活での目標である。

せっかく入ったのなら、卒業したい。

無理せずに毎日を送れるなら、卒業もできるはず。

勉強だけが高校生活ではない。

友達と出会い、教師と出会い、先輩と出会い、彼女と出会い・・・。

中学生活とは行動範囲が広がり、色んな人との出会いがある。

その時にしかできないことがある。見られないものがある。

沢山の人に出会い、沢山のものを見て、沢山の考え方を知る。

それがその先の人生の役に立つ。

 

あとがき

人生はゲームだという言葉がある。

もう、そのゲームに参加しているのである。

楽しむのも、暗くするのも、自分次第である。

 

ここまで書いてみて、まだまだ書き足りない。読み返すたびに補足して、

何回も補足を繰り返していつまでたっても完成しない。

これでは切りがない。とりあえず、これでHPに掲載して、

後は成り行きに任せようか。

続編を作ってもいいし、別コーナーにしてもいい。

 

まずは、ここまでで区切りとします。

ここに書いてあることが、受験の全てではありません。あくまで、一つの考え方です。

読んで頂いてありがとうございました。m(__)m

 

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