マラソン

 

高校3年生の時の話。

寒くなると、体育の授業はマラソンになる。

コースは小高い山の丘陵を12km。ここは戦車道路と呼ばれ、

どうも自衛隊の訓練か何かのコースに入っているらしい。

 

本番のマラソン大会では24kmを走る。

毎年のことだ。

「寒いのに走りたくねぇ〜」 「だりぃ〜」 とみんな文句を言うけれど、

授業だから仕方がない。嫌々参加する。

隣のクラスと一緒の授業。

 

私は徒競走や陸上競技が苦手だった。

ダッシュは速い。人より速い。ところが100mでも200mでも、

途中で抜かされる。どうしても持続力がない。

マラソンもだめだった。

自分は陸上競技には向いていない、と小さい頃から思い込んでいた。

高校生になって1年、2年のマラソン大会でも遅かった。

 

私のマラソンのスタイルは決まっている。

’64.東京オリンピックのアベベの真似。大股ではなく、小刻みに足を運ぶのである。

小学生の頃から、マラソンではこのスタイルを守ってきた。

でも、速く走れたことはない。疲れてtop集団には追いつけない。

そんな体験ばかりのマラソンだった。

 

今日も体育はマラソンだ。毎週毎週こればっかりだ。

道の両脇には何日か前に降った雪が凍りになって残っている。

みんなダラダラと走っている。

来週はマラソン大会かよ。嫌だなぁ〜・・・と、

走り始めてふと見ると、隣のクラスのTが嬉しそうに走ってる。

彼とは1年の時に同じクラスで、家が同じ町というので仲良くなった。

2年になってクラスは別になったが、付き合いは続いていた。

 

女にもてるT。彼は人がいい。しかし、気が弱い。

暴走族にも付き合いがあって、集会にも参加する。

いつか、集会の前にヌンチャクの使い方がわからん、というので、

私と友達のMと二人で特訓して教えたことがある。

私たちは空手でヌンチャクを覚えたのではない。

ブルース・リーの映画を見て、おもしろがって見よう見真似で自己流で覚えたMが、

遊びで私に教えたのである。

Tは不器用だけれど、何とかヌンチャクの扱いを覚えて、

ニコニコ顔でバイクの後の座席に乗り、集会に出かけていった。

私と友達のMは、そんなTを見送ったのである。

 

Tは勉強はあまりできない。

喧嘩も強くない。身体も華奢でひょろひょろしてる。

髪はセットして学生服はしっかり決めている。身だしなみはばっちりだ。

でもどこか、人生を投げている。

クラブにも入らず、放課後はすぐに下校。

地元の駅前のパチンコ屋で過ごす。

 

私もたまTに付き合ってパチンコをする。

もらい玉をして台を教えてもらうが儲からない。

Tが儲かると、近くの料理屋の二階で夕食をおごってもらうことが度々あった。

新装開店の日には、彼は学校を休んでパチンコ屋の入口に並ぶ。

楽しみはパチンコと、暴走族の集会や付き合い。

教師や仲間との関係はとてもいい。社交性があるので可愛がられる。

でも、Tの姿勢というか生き方には、退廃的なものを私は感じていた。

やる気がない。前向きでない。毎日を流されて過ごしているようなTである。

それが悪いとは思わない。彼の落ち着ける場所がそれなりにある、ということだ。

 

そんなTが、生き生きとした姿で走っているのが以外で、

どうしたんだ、と質問。

すると、彼は「マラソンが好きだ」という。走っているだけのマラソンが好きだと。

確かに速い。Tは、運動部の私より速いのである。

「どうした〜、速く来いよ〜」と笑いながら言って、どんどん先を行く。

フォームなんてない。自分のスタイルでどんどん走る。

「本当かよ〜」と信じられない私は、彼を追う。が、追いつけない。

 

私は今まで、彼を馬鹿にしていたところがあった。

女にもてることとパチンコ以外では、私は彼より勝っていると思い込んでいた。

テストの点。体力。腕力。全てが勝っていると。

それが、マラソンの授業で思い知らされた。

人間、普段の姿が全てではないと。

 

マラソンが好きだから速いのか、速いから好きなのか、分からない。

Tの嬉しそうに走る姿を見て、私は「すごいなぁ〜」と感心してしまった。

 

結局は、その人にあったスタイルでいいじゃないか。

どんなスタイルであろうと、速く走れた者が勝ち。

簡単な競技だ。マラソンは。

 

先を走るTを追いかけながら、私はいままでのスタイルを捨てた。

そう、小刻みスタイルを捨てて、大股にTを追いかけ始めたのである。

 

すると、「あれ〜〜??」

 

いつもより速いのである。どんどん抜いて行ける。

これでスタミナが持つのか? 構うもんか、行ける所まで。

前へ、前へ、少しでもTのいる所に近づこうとした。Tのいる所まで・・・。

この日は結局最後まで走り切ってしまった。

 

さて、本番がやってきた。

全校生徒約1000人と教師も参加のマラソン大会。

空手部の恐い先生は、紙に描いた虎の絵を背中にしょっている。

遅刻をすると、腹に裏拳が飛んでくる人である。

担任のE先生は風邪が治りたてなのに、嬉しそうに生徒に混じっている。

 

ヨーイ、バ〜〜ン!!

 

生徒の殆どはダラダラと走ってる。

全校生徒が一緒だから、陸上部の連中はさすがに速い。

張り切っているのは陸上部と先生たちだけ。

空手部の先生は、「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかけながら走っている。

 

私は前回と同じペースで、Tのいる所へ、と大股で走り続ける。

「まじめに走ろう」というのではなく、「Tのいる所へ」、ただそれだけで走る。

 

折り返し地点を過ぎた集団がすれ違う。

Tは・・・と探すと先頭集団に入って平気な顏で走っている。

私はTを追いかけ、しかし追いつけない。

途中でTがスピードを落として、私の所にきた。

私に付き合ってくれようとしたのである。

しばらくは一緒に走ったが、「じゃ、そろそろ先に行くよ!」と言って、

彼はまた自分のペースで先を走り始めた。

 

マラソン大会の距離は24km。

正式なマラソンの距離、42.195kmの約半分しかないが、なかなかきつい。

Tの姿はとっくに見えなくなり、私は黙々と走りつづけ、やっとの思いでゴールした。

後で順位を聞くと、なんと33位。「えぇぇぇっ?! うっそう!!」と思った。

1000人中の33位か? そんなに速いのか??

Tの順位を聞くと10位以内に入っていた。

 

さすがだ、T・・・・・。

 

その後、何年かしてからだが、テレビでマラソンのことを解説しているのを見た。

 

人の筋肉には二種類ある。

短距離向きと長距離向き。これは生まれもってのものだから、

いくら努力をしてもこればかりは変わらない。

短距離向きの筋肉を持った人が、長距離で速く走ろうとしても無理だ。

その逆も然りである。

 

「もしかして、私は長距離向きなんじゃないか」

Tも勿論長距離向きで、彼はそれを知っているから余裕で走れたのか、と。

 

マラソンというと、Tと走ったこの時のことを思い出す。

この体験は、Tのお陰でマラソンを早く走れた、というだけにとどまらない。

 

振り返ると、学校の授業や行事に取り組む時の姿勢は、

その時の周りの雰囲気に大きく影響されている。

教師がいくら「真面目にやれ」と言っても、尊敬や親しみのある教師でないと、

言われたことはただ通過するだけである。

しかし、「なんであいつがこんなに真面目に取り組むんだ」と興味を持つと、

それがものすごい吸引力となって惹き付け、こちらの態度を変えてしまう。

これは学校だけでなく、職場においても同じである。

 

人が態度や行動を変える時、その過程には二通りがある。

1.指示や命令は、ある人の外から力を加えて態度や行動を操作しようとする。

  この指示や命令が効果を発揮するには、それを受け取る側に、

  「従おう」とする意志が必要である。反感を伴うことが多い。

 

2.ある人の態度や行動が、別のある人の気持ちを変えてしまい、

  その人自らが態度や行動を変えようとする。

  この場合は、「従おう」とする意志は必要なく、

  代わりに興味や好奇心が先に立つ。主体的行動なので反感は生じ難い。

 

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