ライダー
(14.1.24)(最終更新:23.5.20)
荒れる成人式
ここ数年、正月になって成人式が近づくと、「去年はこんなに荒れた」とか、
「今年はこういう方法に切り替えた」というニュースが流れます。
今年も、どこかで荒れたというニュースをやっていました。
成人式で騒ぎを起こすのはどうしてだろう、と考えてしまいます。
成人式がおもしろくなければ参加しなければいいんです。
わざわざ、式に参加して酒を飲んだり、野次を飛ばしたり・・・。
これは暴走族の迷惑行為と似ています。
注目を集めたい、見て欲しい、というさみしがりやが増えているんだ、と思います。
初日の出暴走
中央高速から富士山へ向かい、大晦日から元旦にかけて、
暴走行為?が毎年繰り返されています。
スピードはどうだか知らないけれど、
集まって道路や駐車場を占拠して騒いで楽しむようです。
何が楽しくてやっているんだか分かりません。多分他に楽しみがないんでしょう。
人に迷惑をかけて楽しむ。自分たちだけがおもしろければそれでいい。
そうした考えを彼等が持つのはどうしてだろう。
今の大人や社会がそういう考えを持っているんだろうか。
最近のライダー
ナンバープレートを折り曲げて走っているバイクを良く見かけます。
プレート全体が上に傾いているものもあるようです。
ナンバーを見せない理由はなんだろうか、と考えてしまいます。
原付でも自賠責保険は強制加入です。
人や物を傷つけた時、弁償するのは当たり前のことです。
そのために保険に入っているのだし、原因がこちらにあれば責任を追及される。
それはバイクだけに限っているのではなくて、大人の世界では当然です。
いざとなったら責任を果たす。その証明がナンバーだと思います。
例えば不幸にして人にぶつかっってしまった時、
ナンバーを見えないようにしているライダーは逃げるんだろうか。
責任を逃れるためなのかなんなのか、よく分からないけれど、
ナンバーを見えなくするなら、オートバイやバイクには乗るべきではないと思います。
それが流行りやスタイルではあっても、免許を持って運転する以上は、
ナンバーの提示は必要です。お互いのために。
そして歩行者や自転車など、弱者に対する礼儀です。
暴走族
現在、私が住んでいるのはマンションですが、
近くの道路を暴走族がうるさく走りまわることがあります。
うるさく走りたければ、人のいない場所に行って走ればいいんです。
彼らは速くは走りません。わざわざ住宅街をゆっくりうるさく走って
注目を集めたいようです。見て欲しいんです。さみしがり屋です。
住宅街をうるさく走り回り、注目を集めて挑発します。
寝静まった町に騒音を振りまいて、それで彼らは満足か、というと
そうでもないようです。
自分の居場所が他になくて仲間と走り回る。
単に、他にないからそこに所属しているだけ。
ナンバープレートは付けていないものもいます。
自分たちだけがおもしろければそれでいい、という考え方です。
報道の仕方
暴走族の初日の出暴走や暴走行為、それから首都高速のルーレット族など、
違法行為をしている若者を取り上げている番組が時々あります。
違法行為をしている彼等の映像をぼかしているのは何故なんだろう、と思います。
顏や車両ナンバーをぼかす。やっていることは明らかな違法行為、迷惑行為なのに、
肖像権なのか、犯罪者と確定していないからか。或いはヤラセだからか。
見てもらいたい、歓迎してもらいたい彼等の違法行為は、実像をどんどん映して
いいんじゃないか。違法行為であれば現行犯の映像なのだから。
同じように、車の窓からタバコの吸殻や空き缶を捨てる大人のドライバーも、
粗大ゴミを山に不法投棄する人も、皆、実像を報道していいんじゃないか。
やっていることはいけないことだと自覚しているんだから。
バイク屋の意地
町のバイク屋、バイクショップでは、
違法改造をしているバイクの修理を扱うこともあると思います。
商売だから、金を支払ってくれればお客さんでしょう。
しかし、そうしたバイクを修理、整備して走らせるのは、
彼等の迷惑行為に加担しているのと同じです。
中には、そうしたバイクを受け付けないバイク屋もあるかもしれません。
その辺の細かい事情には詳しくありません。
客が、ナンバーを上に向けて、マフラーに穴を開けているバイクを持ってきて、
修理を頼んだら、
「うちじゃぁそうした恥塗りバイクは扱わない。他に行ってくれ。
どうしても修理したいなら、金を払って当たり前の整備に戻せ。そうしたら扱ってやる」
というくらいの骨のあるバイク屋がどこかにあるのかも知れません。
もし、
全国のバイク屋が故意の整備不良のバイクを受け付けなくなったら・・・。
改造部品の販売を規制する法律ができて、販売が出来なくなったら・・・。
普通のライダー
ヘルメットをかぶり、ナンバープレートに手を加えず、
当たり前の乗り方をしているライダーをたまに見ることがあります。
そういう時、私は「頑張れぇ〜〜」と応援してしまいます。
正統派ライダーというのは言い方が変です。
元々、バイクは「バイクが好きな人」が、免許を取って乗るものです。
今、正統派と言われるのは、当たり前のライダーのことです。
この当たり前のライダーが珍しくなりました。
免許
オートバイ(自動二輪)免許は、ずっと昔は自動車免許に付属していて、
今の原付(原動機付自転車。50cc以下)のように、
自動車免許のある人は、オートバイにも乗れました。
その後、事故が多くなったからかどうか、よくは知りませんが、
自動二輪免許が自動車免許に付属しなくなりました。
その後、排気量によって大型・小型になり、大型・中型・小型になり、
現在は、大型二輪車・普通二輪車・の2つに分かれています。
免許は運転免許試験場と自動車教習所のどちらかで取るようになりました。
原付は試験所のみ。
オートバイとバイクは違います。
あらためて、参考書を見直して、今の免許区分、法規などを知りました。
見た目は二輪車で分かりにくいですが、
バイク
原動機付自転車、エンジンの排気量が50cc以下の物。
自転車なので運転者一人しか乗れません。制限速度は30km以下。
オートバイ
自動二輪車、エンジンの排気量が50cc以上の物。
一般道路での制限速度は60km。制限速度の指定がある場合はそれに従う。
免許取得1年以上の者は、後部座席にもう一人乗車できる。
サイドカーが付いていれば、運転者以外にそちらにもう一人乗れます。
高速道路では最高100km。最低50km。(※2000年(平成12年)10月1日道交法改正)
首都高速道路では二人乗り規制区域がある。他の高速道路では二人乗り可。
免許の種類 | 排気量 | 取得年齢 | |
大型二輪車 | 400cc超 | 18才 | |
普通二輪車 | 限定なし 限定あり |
400cc以下 125cc以下 |
16才 |
原付 | 50cc以下 | 16才 |
普通二輪車で125cc以下の車両は第二種原動機付自転車とされ、自動車ではなくなった。
排気量 | ナンバーの色 | 法定車検 | 高速道路走行 |
250cc超 | 白に緑枠 | 有 | できる |
125cc〜250cc | 白 | 無 | できる |
125以下 | ピンク | 無 | できない |
90cc以下 | 黄色 | 無 | できない |
大型二輪免許は400cc以上の二輪車を運転できます。
二輪車であれば何ccでも乗れます。例えば、ハーレーは1200ccです。
軽自動車は660ccですから、エンジンだけを比較すると、
ハーレーのエンジンは軽の約二倍になります。
バイクとの付き合いのはじまり
私は高校1年の時からバイクに乗っています。昭和48年でした。
当時のオートバイ(自動二輪)免許は、
大型(125cc以上)、小型(125cc以下)の2種類だけ。
他には50cc以下の原付でした。
大型は合格率1%。試験場ではまず無理なので、殆どの人が教習所で取ります。
小学生からの友達、Kは4月生まれで、9月生まれの私より免許を早く取れます。
彼は試験場で小型免許を取り、初めに乗ったのは、HONDA CB125。
緑と白のツートンカラー。ハイオクガソリンの、角張ったタンクでした。
下図は赤のCB125.これが緑のタイプ。
私は彼の後ろに乗せてもらい、二人で良く走り回っていました。
私も16才になってすぐ試験場で小型免許を受けました。
学科には受かり、実技で落ちて原付免許を取りました。
初めに乗ったのがHONDA CB50。中古で33000円。
タンクはオレンジメタリック。黒いラインが入っていて、
Kと二人でバイク屋を回って見つけました。
下図はゴールドのCB50。これでオレンジメタリック。
メーターはこんな感じ。
バイクの魅力
それまで自転車しか乗れなかったので、行動範囲は狭いものでした。
自転車の速度は速くても40kmが限界です。
疲れるし、坂に弱く、遠くへはなかなか行けません。
ところが、原付バイクは、自動車と同じ距離を走ることが出来て、疲れず、速い。
これはもう夢のようでした。
毎日バイクに触り、エンジンをかけ、掃除をし、手入れをしていました。
親父にお使いを頼まれると断れません。
バイクの代金を出してもらったこともありますが、
走るのが楽しかったので、頼まれればどこへでも行きました。
バスや電車でしか行けなかった親戚にも、バイクならすぐに行けます。
その後、
高校二年の時、小型免許を試験場で取り、CB50 から CB125 に変えました。
親父が近所のバイク屋で月賦で買ったもので、57000円。
色は赤。タンクはクジラタンクと呼ばれていました。
下図は近いタイプのCB125.メーターはこんな感じでした。
2気筒、2本マフラー。タコメーター付き。セルモーターとキックの併用。
これも毎日触って手入れして・・・。
免許はその後大型免許を教習所で取りましたが、
125cc以上は親の反対もあって買いませんでした。
125ccは2人乗りができます。友達を乗せてあちこちと走りました。
教習車はHONDA CB360
友達のKは、
高校には合格したけれど、一日も登校せず、家業の染物工場を手伝っていました。
給料をもらっていたので、お金は結構自由になります。
HONDAの奥様バイクの50ccや、YAMAHAのミニトレ80cc、
HONDA550、Fourなど、いろいろ乗り換えていました。
下図はYAMAHA GT50。これの80ccがありました。
下図はHONDA 500Four
Kと2人で、甲州街道の大垂水峠を走ったり、奥多摩方面へ行ったり。
彼はバイク雑誌、モーターサイクリストとオートバイを買っていました。
ツーリングの楽しさとか、法規の話とか、勿論、新車や中古車情報など、
バイク乗りの情報が色々載っていました。
高校の友達のFはYAMAHA AX125.
友達のMはSUZUKIのGT50.
世間では色々なバイクが走ってました。
下図はKAWASAKI Mahha3 500ccで2サイクル3気筒、3本マフラー。
下図はYAMAHA RS 350
下図はYAMAHA TX 750
私が住んでいたのは東京の八王子。高校は町田市。
高校の友達は八王子市内と、町田や神奈川県の相原など、あちこちにいました。
遊びに行ったり、何か用があればバイクで出かけました。
普段は友達の家を行き来していましたが、誰かがツーリングを企画して、
鎌倉や真鶴へ出かけたこともあります。
夏にバイク数台で女の子を乗せて湘南へ海水浴にも行きました。
八百屋の親父さん
ある日、バイクで夜遅くに友達の所から帰ってきました。
ガソリンが少ないことは分かっていました。でも、スタンドはもう閉まっています。
八王子に入る前に補助タンクに切り替えました。
八王子に入って富士森の坂を下り、坂の途中でついにガス欠。
エンジン停止・・・。惰性で坂を降り続ける。
シ〜〜ンとした広い道路、車は殆ど通らない。
ここから押して家まで行くとなると、軽く1時間は越える。といって、他に方法がない。
いよいよ勢いもなくなって、「仕方がない。押して帰るか・・・」
バイクが停止した所は閉まった八百屋の前。
店の前に親父さんらしい人が立っていました。
私がバイクを押して通り過ぎようとすると、声をかけてきます。
細かい内容は忘れましたが、
「ガス欠か、チョット待ってろ、ガソリンやるよ」
ということで、親父さんにガソリンを分けてもらって、エンジン復活。
礼を言って、再発進。
バイクを押せば1時間以上はかかるところを、数分で帰宅できました。
この八百屋の親父さん、何の用があって店の前に立っていたのか。
たまたま通りかかった、見ず知らずのバイク少年が困っていたので、
気前良くガソリンを分ける気になったのか。
この時以来、親父さんには会っていないので、詳しいことはわかりません。
今、私が夜中に道端に立っていたとして、ガス欠のバイク少年が通りかかったら、
ガソリンを分けて上げるだろうか、と考えてしまいます。
騒音とスピード
当時住んでいた家は狭い路地の奥にあり、民家が密集しています。
バイクで出かけて夜遅くなると、周りの家はみんな寝静まっているので、
自分の家の近くまで来たらエンジンを切ります。それは友達の家に行っても同じです。
寝静まった民家のそばではできるだけ早くエンジンを切るのが当たり前でした。
音もそうですが、家でテレビを見ている時、バイクが近づくと、テレビ画面が乱れます。
バイクの発電機からの電波を拾うからです。
また、私の家のそばは道が細く、交差する場所が多いので、できるだけ徐行をします。
近所で人身事故を起こしたら、私だけの問題ではなく、
それこそ家族みんなが肩身の狭い思いをします。
友達のKも同じ考えで、狭い道でスピードを上げることはしません。
飛ばすなら、飛ばせる場所。広い道で、人や対向車が少ない所で飛ばす。
バイク乗りのモラルというと大げさですが、それが当たり前の乗り方でした。
小学生の頃から、親父のバイクの後に乗っていたし、
周りの大人の乗り方がそうしたものだったからだと思います。
高校の友達の中には、暴走族に入っているのもいました。
集会に参加したり、集団で走ったりしていたようです。
私はそうした暴走族には入りませんでした。
入らなくても友達はいたし、その必要がなかったからです。
友達とは何台かで走りましたが、元々、集団で何かをするというのが苦手だったし、
少人数で気ままに走れればそれで充分でした。
無茶な乗り方をしたこともあったけれど、幸いに大きな事故もなく通り過ぎました。
バイクの危険性
私は結婚していますが、子供はいません。
もし、子供がいたら、免許をとらせるだろうか。難しいところです。
18才の甥は原付に乗っています。
無理な運転はしていないようです。
私が実家に帰った時に、甥が実家にバイクで来ていることがあります。
「じゃ帰るよ」という彼を見送る時、私はやはり心配になります。
バイクは安全な乗り物か、というと「安全だ」とは言い切れません。
いくら自分が慎重な運転をしていても、
他の車やバイクが突っ込んでくる可能性があります。
車や自転車、子供や動物などの道路への飛び出しや、信号無視など、
危険な可能性はゼロではありません。
だから事故は起こります。それは車でも同じです。
可能性を考えたら何もできない。と、いってバイクを勧めるのも自信がありません。
20才の頃、知り合ったおばさんに、「あなたはバイクに乗るか」と聞かれて
「危険はあるけどそんなに心配ないよ」と答えました。
すると、そのおばさんは、息子が最近バイクで事故死したと言いました。
私はどう言ったらいいのか言葉を失いました。
道具との付き合い方
安全で便利になるように、楽しみが増すように、色々な道具が作られました。
バイクも車もゲームやパソコンも、始まりは「より便利に快適に」だったはずです。
バイクを例に考えてみます。
今の時代、バイク通学を許可している高校は珍しい、と思います。
危険性を理由にしているようですが、
もし、バイク通学が許可になったらどうでしょう。
電車やバスの交通費はばかになりません。定期で買っても高くて家計に響きます。
これが、バイク通学でガソリン代と維持費だけだとしたら、随分安上がりです。
何万円の定期代が、何百円のガソリン代になります。
原付バイクを中古で買えば、何万円。何ヶ月かの定期代で買えますから、
3年を計算すれば、とってもお得です。
これが実現できないのは、
危険性を印象付けている一部のバイク乗りの乗り方です。
違法な乗り方、暴走行為など、
一部の者の行為が全体の便利さを取り上げているんです。
勿論、バイク以外の車の運転者の危険な行為も関係していて、事故が起こります。
バイク側の問題だけではないとは分かっています。
しかし、それでも暴走行為など、一部のバイク乗りの行為。
この影響は大きいと思います。そうした行為は社会が受け入れていません。
バイクは危険、非行につながる、という意識を社会に保護者に与えます。
学校は、保護者の要請に従って、また、学校自体も問題を排除したくて、
バイクを排除します。
もったいない話です。残念な話です。
バイクという道具が悪いのではなく、それを使っている人に問題があります。
それも一部の人にです。
車を例にすれば、狭い道で飛ばしたり、わざと車間距離をつめてぴったりくっついて
煽ったり、その他運転モラルのないドライバーを時々見ます。
ゲームで考えてみると、勉強をせずにゲームばかりに熱中して、
生活リズムを乱す子供。PCも同様です。
道具が悪いんじゃない、使っている人間に問題があるんだ、と声を大にして言いたい。
あとがき
バイクに関しての思いを書いてみました。
家族がバイクに乗る、と言ったらどうするだろう、
という問いに、答えが見つかりません。
また、昔の八百屋の親父さんのような行為を、今の自分ができるか、
それもわかりません。
自転車しか乗れなかった少年が、初めてバイクに乗った時の感動を思い出しながら、
安全で快適なバイク生活を送れたらいい、と思います。
14.1月24日