実家 家の修理 (23.10.15)
ー台所床・アンテナ・車庫ー
23.10.12
朝5:30起床予定で0:00就寝。
横になるけど眠れない。
前日は昼間の12:00に起きてそれから寝てないのに。
1:00を過ぎ2:00を過ぎ、3:00になった所で「もう眠れないなら寝ないで行こう」と決定。
4:00になって車で出発。
外は真っ暗。車には夜露が降りている。
高速道路は当然のように渋滞なし。
まだ暗いのにトラックが多く走ってる。
6:00に実家到着。
世間は寝てる。
家に入って二階の部屋で横になる。
甥には「9:00頃到着予定だから10:00頃に来て欲しい」と言ってある。
10:00まで寝よう、と横になるけど眠くならない。
7:00、8:00・・・やっぱり眠れない。
起きて大工道具の用意。4年前に亡くなった親父は大工だったから、道具は沢山揃ってる。
親父の軽ワンボックス車の荷台にも道具が色々入ってる。
後のドアを開けると、左側から茶色いトカゲが荷台に入り込む。あれま〜。トカゲがいるんだ。
道具を出してからトカゲを追い出す。
実家でやる仕事は、
1階台所の床張り替え、テレビのアンテナ交換、車庫の柱直し。
床の張り替え
2箇所ブカブカになってる所がある。
地面からの湿気で床板が傷む。築34年だからあちこち張り替えてる。
作業は、
床板をはがして、横に並んでいる木の中心で直線に切り落とす。これはのこぎりとのみ。
木の間隔を狭くして補強するために、木と木の間にもう1本木を入れて釘で止める。
床板をのこぎりで切って釘で止める。
書いてしまえばこれだけなんだけど、実際には細かい作業が沢山。
床をはがしている所で
10:00に甥が250ccのバイクで到着。
甥は27才。姉の息子。家は車で30分位離れている。
自動車整備士をしていたけど2年前に退職。その後アルバイトなどをしていて、今は無職。私も無職。
一服しているとガス屋が器具交換に来る。台所は34年前の配管なのでガスの元栓にストッパーがない。
ゴムホースが抜けたらガスが止まる元栓に交換が必要だという。
交換、点検が終わるまで床の作業中断。
2階の湯沸かし器も見てもらうために2階へ。
2階の廊下を見ると鳥の糞みたいなのがいくつか落ちてる。
この家には時々甥がきているけど見たことがないという。
よく見ると4cm位のトカゲの子供がいる。干からびているのかと思ったら生きてる。
床にぴったりくっついてるみたい。白いインクみたいなのが背中から床についてる。
あれま〜、と持ち上げてみると卵の殻。
ここで孵化して白身が乾燥して張り付いて身動きが取れなかったらしい。
窓から外に逃がす。
鳥の糞か、ねずみの糞か、トカゲの糞か。分からないけど後で掃除。
ガス屋の作業が終わって床板作業を再開。
床板をはがし終わった所。
ここは食器棚の前で、冷蔵庫への通り道。人がよく通る場所。
この写真はリビング側から撮影。
二人で作業して一箇所目終了。結構ぴったりに収まる。
昼ご飯は甥が用意してあったレトルトの中華丼を食べる。
午後からは2箇所目。
冷蔵庫の右側、流し台の前。ここは一番使っている場所。
ブカブカの所をはがしてみると、その周囲も危ない。
ここもか、こっちもか、とはがしてみたら範囲は畳で1畳半以上になる。
カビとホコリが舞い上がる。
これは大変。床板の用意は6枚(畳2畳分)。1枚の大きさは幅30cm、長さ180cm。
板は長さを合わせて切るので、中途半端なあまりが出る。だからとても足りない。
はがした端をきれいに整えるのに時間がかかる。
下の写真は、はがし終わって木を追加した後。黄色の○印が最初のブカブカ部分。
まさかここまで傷んでいるとは思わなかった。
一番左は炊飯器、右にガスレンジ、そして流し台
下の写真は左側が流し台。壁の向こうがリビング。
壁の手前の部分はテーブルが置いてあって荷物置き場。
床板にカビがついていて傷みもひどい。
床板を切るのに手でのこぎりで切るのは大変。電動のこぎりを使う。
早くて楽だけど切りくずがホコリになって舞い上がり、音もうるさい。
上の写真の上部、壁際部分から横に1枚目の板をはり始めるけど、柱の当たりをカットするのに寸法を間違えて切りなおし。
できるだけ隙間をなくしてはるので、切った板の面を調整するのに時間がかかる。
1枚目を置いて2枚目を置いた所で夜の20:00を過ぎる。
近所には年寄りが多い。早い人はもう寝る時間。
もう今日は作業終了。
床板を置いて歩けるようにするけど、地面がのぞいているし蛇とか虫が入ってこられる状態。
全部をはるには板があと1枚足りない。洗面所の床もいずれやることになるからまた板が必要。
並べる木の棒も必要。明日買いに行くことにする。
21:00シャワーを浴びてさっぱり。
シャワー中、左足の中指がつりやすく、右足で指を押さえてないと痛くてしょうがない。
夕飯は近くの回転寿司。私の車で行く。
2つずつの握りが乗ってる皿。
私は6皿、昔より食べられなくなった。甥は10皿。
食べて帰ってきたら22:00過ぎ。
私の手がチクンと痛い。トゲが刺さってる。床板のトゲ。だけど針箱がない。針があればほじって取れるのに。
仕方がない。壁の画鋲でほじって取る。
23:00に甥は帰宅。
久し振りの肉体労働。体全体が筋肉痛。動くたびに「うっ!」と声が出る。
眠れないまま一日肉体労働して疲れ果て、
0:00に就寝。間もなく入眠。
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10.13
2:30目が覚める。
それから眠れない。なんで・・・。体は疲れてるのに。
4:00、5:00、もういいや。起床。
一服しているとまた手にトゲが刺さってる。また壁の画鋲でほじって取る。
明るくなってから隣家との境に立ててある衝立の補修。
物置の入り口の草むしり。雨戸のストッパーがはまらないので溝の掃除。台所とリビングの境にあるガラス戸の戸車調整。
その他、必要な大工道具を探したりして時間が過ぎる。
予定では9:00に起きて10:00から作業を始めることにしていた。だから甥は10:00に来る。
だけど床板をはがした範囲が広くなってこれは手間がかかる。アンテナと車庫をやるには台所を午前中には終わらせないと。
8:00から床はりの続きを一人で始める。
約2時間かかって、10:00にはある板だけははり終わる。
と、丁度携帯電話が鳴る。甥からで「マック食べる?」という。
普通のハンバーガーとコーヒーを頼むと5分位で甥が車で到着。
近くのマックから電話したという。
甥は台所が殆ど終わっていてびっくり。
朝6:30には目が覚めてまだ寝てるだろうと思って連絡しなかった。起きてたら来たのに、という。
荷物を色々持ってくる。パテ、カビクリーナー、防カビ剤。他にオキシドール。
私が床板でこすって擦り傷があったり、トゲを刺したりしてるのを見て買ってきたらしい。
ソーセージバーガーを食ったら腹一杯。
今日は床板を買って来ないと台所が終わらない。
一服してから甥の車で近くのホームセンターへ。床板4枚、角材4本、その他色々購入。
重たい床板は甥がさっさと運ぶ。
帰りにすき屋の牛丼弁当を買って帰宅。
残りの床板をはって台所がやっと終了。
甥が、板の継ぎ目の隙間をパテで埋め、カビクリーナーで掃除後、防カビ剤を塗る。
私は片付け。
換気扇カバーを見ると、取り替えて真っ白だったカバーが写真のようになってる。
電動のこぎりの切りくずのホコリとカビ。
昼ご飯は遅くなったけど牛丼弁当。
アンテナ交換
数年前アンテナに雷が落ちたことがあって、VHFアンテナは素子が1本飛び、黒こげの後が残ってた。
テレビが見られなくなって、甥に手伝ってもらってアンテナ交換。
その時、一緒につけてあったUHFアンテナの給電部のカバーが飛んでいたのでテープでふさいでおいた。
UHFの映りが悪くても殆ど見ないからそのままにしておいた。
今年7月に地デジになってから今までのアナログテレビは見られない。
甥が地デジテレビを買ってきたけど、地デジは電波が入らない。BSは見られるという。
おそらく雷でUHFアンテナも壊れたらしい。そうでなければ電波がまったく入らないことは考えられない。
必要な作業は
屋根の上のアンテナ(VHF、UHF)とブースターを取り外す。
新しいUHFアンテナを取り付け、新しいブースターを取り付け。
予定では30分もあれば終わる作業。
15:30
重くて長いはしごを甥と二人で車庫の屋根の下から引き出し、1階の屋根の上に立てかける。
昔は一人で出して運んで屋根の上に上げられたのに、今はとても無理。
甥と二人で2階の屋根の上に上がって、私が屋根の端っこに行って支線を2箇所外す。ポールを押さえてもらってないと外せない。
この地域は電波状態が悪く、映りが悪いので、昔私が一人でポールを継ぎ足して長くしたことがある。
それが今は一人ではとても動かせない。手伝ってもらってやっとポールを寝かせる。
VHF、UHFアンテナを外し、新しいUHFアンテナをつける。
二人がかりでポールを立て、私が支線を元に戻す。
ポールの下についてるブースターを交換。その下についてる2分配器はついてると思わなかったのでそのまま。
暗くなってきて作業終了。
配線は問題ない。これでテレビは映るはず。
はしごを片付けて、後は1階の配線をつなぐだけ。
実家のアンテナ線の配線はちょっと複雑。(別記参照)
1階に降りてブースター電源部の配線をつなぎ、電源を入れるとランプ表示はショート状態。
どうやっても電源ランプがつかない。
アンテナ線を外すと正常。
アンテナに雷が落ちたから2分配器も壊れてるかもしれない。
仕方がない。今夜はこれで終了。
本当は2日でアンテナと車庫を終わらせる予定だったけどもう1日が必要。
19:00頃シャワーを浴びてさっぱり。
夕飯を食べる前に甥の運転で今日2回目のホームセンターへ。分配器を購入。
帰りに夕飯。今夜は自分でおかずを選んで食べられる食堂。
私は野菜炒め、しらすおろし、ご飯。
甥は大盛りカレー、魚のフライ、ちくわのてんぷら。
21:00
朝6:30から起きてる甥は眠くなったという。私が「泊まってけ」というと「帰る」という。
2時間したら起こしてやる、というとその場でうとうと。
幸せそうな寝顔。
私も寝不足なので眠いけど、台所の流しの真上にある蛍光灯が切れてる。
交換しようと思ったらカバーが油と虫だらけなので掃除。
23:00過ぎに甥が目を開ける。
「泊まってけ」というと「どうしようかな」という顔をしながらまた寝る。
甥の父親に「今寝てる」と私からメール送信。
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10.14
0:00就寝。
8:30起床。1階に降りると甥は5:30から起きてたという。
「朝ご飯買ってくる」と言って甥が出かける。近くのオリジン弁当。
朝から弁当食べて腹一杯。
一服してからアンテナ作業。
また重いはしごを出して1階の屋根に上げて、2階の屋根に上り、2分配器を交換。
屋根の上の私と1階のテレビの前にいる甥とで携帯電話でやりとり。
分配器を交換してもやっぱりブースターの電源部はランプがつかない。ショート状態。
理由が分からない。
ブースターを通さずに直接アンテナからつないでみると電波は弱く見られない。
後はアンテナの接続部か。昨日暗くなってきて良く見えない状態でアンテナ線をつないだからそこでショートしてるか。
アンテナをまた寝かせて確認するのは大変だけど仕方がない。
甥に手伝ってもらって、また支線を外してポールを寝かせる。接続確認。問題なし。
アンテナポールのそばのコードに亀裂があり、焼け焦げた跡がある。
はがしてみると編み線の半分以上が千切れている。
これは雷の後か。修正してみるけどテレビは依然として映らない。
今日は暑い。
ツクツクボウシが鳴いている。夏みたい。
もうショートはない。後はブースターの故障か・・・。
とりあえず休憩。
屋根の上で2分配されているアンテナ線。その2つ共がショート状態というのはおかしい。
ブースター電源部に差し込んでるプラグがデジタル対応ではない?。
試しにブースターに付属していた金具に付け替えてみる。
と、電源が正常動作になりテレビが映る。
じゃあもう片方は?、とこっちはショート状態。
何でだ・・・。とりあえずじゃあ映る方で見るか、と戻してみると今度は映らない。
さっき映ったのに。これはおかしい。
アンテナ線の取り出し口はパソコンの後の壁。
線を揺らしてみると映ったりだめになったり。
この後で切れてる?。だけど壁からストレートに来てるだけで切れるはずはない。
甥が覗くと線がつないである、という。
だけど私には記憶がない。つないだことはないはず。
見るとシールド線の芯線と編み線をねじってその上をテープで固定している。
このやり方は普通はやらない。これじゃシールドの意味がないし、電波状態が悪いのにこれはないでしょ。
ジョイント金具でしっかりつなぎ直して問題解決。
地デジ放送はきれいに映ってる。
誰が切ってつないだのか・・・。切る理由がない。
昨日の段階でこれが分かっていれば、もしかしたら作業は終わっていたかもしれない。
2分配器は故障してなかったかもしれない。
まさかここで断線・ショートしてたなんて・・・。
屋根の上のブースターの利得調整を最大にしてアンテナ作業終了。
遅い昼ご飯。
私はレトルトのカレー、甥は親子丼。
今までBSしか見られなかったテレビだから、地デジが見られてデータ放送も見られる。
天気、地震、高速道路の渋滞情報などデータは便利。
車庫の柱固定
3月の地震で外側に傾いた車庫の屋根。家の外壁に固定している短い柱が傾いている。それを元に戻す。
15:30
柱の上部を甥が丸太で押して、私が木槌で叩き、カスガイで固定。
その後金属プレートを逆さ釘で固定するんだけど、プレートの穴が小さくて釘が入らない。
電気ドリルで穴を大きく開けるけどなかなか開かない。
やっと穴が開いて柱を巻くように折り曲げて釘で固定。
上から防錆剤のスプレーを吹き付ける。
これでやっと予定していた作業が完了。
台所の片付けをして夕方になる。
夕飯は中華料理店。
私はサンラー麺、餃子半分、キムチ。
甥はジャージャー麺、マーボーナス。
食べたら腹一杯。
帰ってきたら20:00過ぎ。
荷物をまとめて
21:00実家を出発。甥は後で帰るという。
高速は渋滞なし。
23:00過ぎには千葉の自宅に到着。
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あとがき
親父が亡くなって4年。実家には誰も住まなくなって、時々甥が来て空気の入れ替えをしている。
人が住まないと家は傷みが早く、あちこち補修が必要だけどなかなか機会がない。
台所は何年か前から「ここが危ない」と甥が印をつけてそこに立たないようにしていた。
今回、甥も私も無職で修理を一緒にできる、というので頼むことにした。
実際にやってみると体力の衰えを実感。
体が悲鳴を上げる、という状態。
でも途中でやめる訳にはいかない。
予定では2日で全部できるはずが1日余計にかかったけど、終わってホッと一安心。
親父がいた頃、実家に帰って親父と一緒に床張りとか大工仕事を色々作業をした。
親父と一緒なら作業が早い。プロだから当然。
親父がいなくて私が親父の代わりに作業の進行を指示するんだけど、親父のようには行かない。
だから時間がかかるし間違えて余計な手間がかかる。
親父がいたらこんな時なんて言っただろう、どうしただろう、とそんな場面が度々ある。
親父の父親も大工で、私にとってはおじいさん。そのおじいさんが亡くなったのは私が高校生の時。
親父はその後「もっと親父に教わっておけば良かった」と度々言っていたっけ。
ホームセンターに買い物にいくと、親父と一緒に歩いた場面を思い出す。
あの頃の親父が今の私で、あの頃の私が今の甥。
なんか不思議な感覚。
あの時親父があれを買ったっけ。ここには何回も来たっけ。
重たい材木は私が持って運転も私がして何度も何度もきたっけ。
甥は、じいさん・ばあさんが好きで時々実家に来ていた。バイクの免許をとってからはバイクで来ていた。
自分の家よりじいさん・ばあさんの所の方が伸び伸びできる。
じいさん・ばあさんも孫が可愛くて仕方がない。
ばあさんが10年前に亡くなった後、じいさん一人になっても同じように出入りしていた。
そんな甥とじいさん・ばあさんの関係だったから、じいさんが亡くなっても甥はこの家に一人で時々来てたまには泊まっていくらしい。
テレビを見たりゲームをしてるらしい。
じいさん・ばあさんの家の修理をする、と私が言えば、甥は無理をしてでも手伝ってくれる。
本当は、仕事が忙しくて手伝えない、という状況の方がうれしいんだけど。
今度、いつにするかは未定だけど洗面所の床板を張り替える予定。それで当分は床は大丈夫。
ただ、ここはやりにくく、親父と二人で以前やったことがあるけど1日がかりだったような気がする。
実家には親父とお袋の思い出が一杯あって、懐かしさと寂しさが詰まってる。
実家のアンテナ
実家の家は34年前、大工の親父が自分で建てたもの。20才で学生だった私も夏休みに手伝った。
その時には電気屋がアンテナを立てて配線。
2階の天井裏で2分配。1階と2階でアンテナの取り出し口が1箇所ずつ。
電波が弱いから、とブースターを取り付けてあった。
1階も2階もアンテナの取り出し口は一つだけ。でもそれじゃ不便。
1階のリビングだけでなく、座敷でも見られるように親父が配線したのか良く覚えていない。
その後段々テレビの映りが悪くなり、何とかならないかということでまた電気屋に相談。
UHFの電波でVHFの番組を送信する中継所ができたから、とUHFで一般のテレビを見る設定に変更。
テレビ画面は、最初は映りが良くなっても段々悪くなる。
年寄りの楽しみはテレビ。
親父は私が買ったビデオデッキで気に入った番組を録画してた。ビデオテープは沢山ある。
せっかく録画しても画面が乱れているんじゃもったいない。何とか改善できないか。
千葉で生活していた私が休みの時に実家に帰ってアンテナポールを伸ばして調整。
家の中の配線も太い線に交換。
この頃から電気屋には頼まず、私がアンテナやテレビの調整をするようになる。
その後大雪が降った日にアンテナが倒れたことがある。
年寄りの二人暮しで楽しみはテレビ。それが見られないんじゃかわいそう。
親は、危ないから来なくていい、と言うけど
夜中に千葉から車で行き、八王子の坂道はチェーンを巻いて恐々走って実家には朝到着。
雪のある屋根に上がって支線の固定をしなおし。
滑る危険があるので、丁度実家に来ていた妹にも屋根の上に上がってもらい、
私の腰に巻いたロープの反対側を持っててもらう。
その状態でそろそろと屋根の下の方に降りていって腹ばいになって作業。
ポールを立てて支線を固定。今度は雪位では倒れない。
この時、妹は初めて2階の屋根の上に上がったんだと思う。
作業中は私が落ちるんじゃないか、と怖かったらしい。
無事に終了。
その後、またこういうことがあると困るから、と屋根の端っこにもうひとつUHFアンテナを設置。
今までの配線とは別に直接1階に配線。ブースターをつけて元々のアンテナ線との切り替えスイッチをつける。
そして5年前。地デジに移行するためにアンテナとチャンネル調整で業者がきて作業。
すると今までより映りが悪くなった、という。
悪くなるとは思ってなかったので私が行ってみると、なんでこんな配線にしてるんだ、というやり方。
予備のUHFアンテナは線を切ってあり、屋根からのコードをつないで壁にいれている。
それは仕方がない。だけど2つあるブースターの電源部のつなぎかたがおかしいので私がやり直して調整。
何十年の間、色々なことがあったアンテナ配線。
人が住まなくなった家だけど、たまに私たちが行ったり、甥が行ってテレビが見られないんじゃつまらない。
だから今回も自分でやることにした。