25年10月20日〜21日

姫路旅行

 

20日は奥さん一人で姫路市水族館。

 

私は岡山から 18:25 新幹線 のぞみ52号 東京行 に乗って姫路へ。 






18:45駅で合流。

姫路駅の炉端焼き屋で夕食

姫路駅


ホテルは駅からシャトルバスですぐ。8階の部屋。

 

10.21(月)


朝から快晴

部屋は狭いけど静か。

ホテル

駅前のパン屋で朝食。フランクとカレーパンで腹一杯。

姫路駅南口

駅前のバスセンターへ

 

姫路城


城の中に黒猫が2匹



天守閣の中にはトイレはない。
外のトイレを借りる。
和式水洗トイレに便座を固定してある。
ウォシュレットは携帯を使用。

私のトイレを待っている間、係のお兄ちゃんが説明してくれる。

工事中の天守閣の最上部

外の景色。遠くに小豆島。

十月桜。咲いてる。



西の丸櫓群と長局(百間廊下)





千姫が過ごした部屋
千姫と化粧櫓
 千姫は徳川二代将軍秀忠の姫君に生まれ、政略によって豊臣秀頼に嫁したが、大阪落城の際に救い出され、のち本多忠誠の子忠刻に再嫁した。
 元和三年忠政が伊勢桑名から姫路十五万石の城主となった時、
忠刻も千姫の化粧料として部屋住みのまま十万石を与えられ、姫路に移り住んだ。
 忠刻と千姫の居館は、西の丸内に本館として中書丸を、桐の門内に下屋敷として武蔵御殿をそれぞれ築き住んだ。
 これらの建物は多く豊臣秀吉が築いた伏見桃山城を取りこわした用材を移して建てたもので、桃山時代の立派な書院造りの建物であった。
 千姫は、天満天神を信仰し、姫路へ来てからは、西方の丘男山にこれを祀り、毎朝西の丸の長局の廊下から参拝した。このとき、この化粧櫓を休息として利用した。
 忠刻と千姫の夫婦仲は睦じく、姫路に来てから相次いで勝姫(のち池田光政室)、幸千代の二児をもうけ平和な日々を送ったが、長続きせず、幸千代は三才で早逝、忠刻も寛永三年三十一才で世を去った。
 千姫は、同年落飾して天樹院と号し、悲しみのうちに姫路を発って徳川家に帰った。
 この化粧櫓は中書丸や、武蔵御殿がないいま、わずかに千姫のおもかげを偲ぶただひとつの建物である。



西の大柱。他の柱は腐ってたという。

 

お城の南に美術館がある。けど行ってみたら月曜休館日。
その右にある動物園。

姫路市立動物園




アジア象 姫子

ヒグマ



やまあらし

レッサーパンダ

ホッキョクグマ

 

12:30 城の前にある店で昼食。


店の2階の窓から眺めた姫路城

奥さんは、アナゴ丼とにゅう麺

私はざるそば

福祉作業協力店。障害者が働いてるらしい。
歩いて足が痛くなった奥さん。

家老屋敷公園の休憩所がそばにあったので休憩。

 

歩いて好古園へ。

好古園




歩き疲れたので東屋で休憩。土足厳禁なので靴を脱いで楽ちん。



陽ざしが強いのでタオルで帽子代わりのじいさん。

 

好古園を終わってまだ時間が早い。
地図を見ると、千姫天満宮が近くにあるので歩いて行く。

千姫天満宮


男山 千姫天満宮と男山八幡宮 階段を上がる

急な階段

千姫天満宮

境内に牛の銅像

羽子板

社の中

続きの階段を昇る

靴が痛い奥さんは、帰りは裸足で階段を下りる

男山八幡宮

社の中

その上の階段を昇ると水道公園。工事中の姫路城が見える。

足を蚊に食われた奥さん。

帰りはバス。待ってるとなかなか来ない。



お土産を買って17:30頃、新幹線ホームから姫路城。




私はおかめ弁当



奥さんは花暦
 

 

17:40姫路発 新幹線 のぞみ

20:50東京駅着

携帯で乗り換えをチェック。京葉線快速。蘇我乗り換え。

22:00過ぎに地元駅着。バスで帰宅。

部屋に着いたら22:30過ぎ。

 

あとがき

初めての姫路旅行。

本屋で姫路観光の本を探すと出版されてない。ネットでもない。

観光協会のページからパンフレットをDLして印刷して持参。

駅の観光協会でくれるパンフレットと同じ内容。

 

今回は、姫路城とその周辺を観光。他にも色々見る所がある。

月曜日なので美術館、博物館などは休館日だったから見られなかった。

 

姫路城は昔の建築がそのまま見られるから昔の大きな材木をどう加工したのか、

大きな柱や梁をどうやって移動させたのか、石垣をどうやって積んだのか。

眺めているとあれこれ想像して飽きない。

来年まで改修工事中。昭和も改修してるから今回で2回目。

見える部分のきれいな所は改修した所だと思う。

いくつもある門の太い柱や扉、錆びた鉄の金具とかは昔のまま。

昔は殿様や偉い人しか出入りできなかった城内。今は誰でもお金を払って入れる。

城の周りは広くて散歩には丁度良い環境。