ギター -オリジナル曲-

高校の頃からギターを始めて、自分で曲を作ったりしていました。

今回は、まだ学生だった頃の3曲を紹介します。ライブ版。

バンドは男2人と女3人。

楽器はギター3台とタンバリン他で、アコースティックが中心でした。

当時のテープ録音をサウンドレコーダーで編集したので、音はモノラルです。

曲のタイトルをクリックすると聴けます。(多分) Windows Media Prayer が必要です。

曲を読み込むのに数分時間がかかります。

一度読み込んでから聴いて下さい。

 

俺たちの唄[詩:S.Y  曲:S.Y]

夢見たあの頃懐かしく 今も心に蘇る 純粋だったさ俺たちは 忘れるもんかいつまでも

試験が終れば仲間が揃い 牌を積んでは気合を入れて

夜が更ければラーメン片手に パイパン、ポン、チー、ハコテン、チョンボ

タバコが切れたら灰皿あさり、朝日を浴びて運試し

 

50のCB穴空きマフラー ノーヘル、グラサン、サンダル履きで

雨が降ってもはね上げながら ヤッケのポッケはビタビタタバコ

家へ帰って鏡を見れば 顔中ホコリのソバカスだらけ

夢見たあの頃懐かしく 今も心に蘇る 純粋だったさ俺たちは 忘れるもんかいつまでも

 

曲紹介

 当時、詩の内容を分かる人には受けました。

 

片恋 [詩:M.Y 曲:S.Y]

好きなのに好きなのに何も言えないの

会うたびに会うたびに 悲しくなるの

恋の始まりはみんな そうかしら

初めての初めての 恋なの

 

今日もまた何も言えないの なぜ なぜ

あなたのことこんなに 愛してるのよ

 

曲紹介

作詞者がいつ書いた詩なのか忘れているくらい昔の詩です。

勿論、私はまだ知り合っていません。

曲をつけてから、「赤い鳥」の「赤い花白い花」に似ていると気付きました。

 

好きだった人[詩:Y.Y 曲:S.Y]

今頃何をしているのでしょう 私の好きだったあの人は

とてもさびしい人でしたね いつも一人で生きていましたね

結婚できると思っていたのに だから悩んで泣きました

彼女は今も隣にいますか 「別れてもいいんだけどね」なんて勝手過ぎる

 

今頃何をしているのでしょう 私の好きだったあの人は

とてもやさしい人でしたね いつも一人で生きていましたね

まさかと思った電話の声に わざと明るく振舞った

彼女の留守にダイヤル廻して 「今 幸せ?」 勝手過ぎる

 

曲紹介

作詞者は歌っているY.Y。 本人にはホームページに載せるとは断っていません。

 

体育館を借りて、自分たちだけでコンサートをやりました。

受け付けや照明、音響、会場準備などで、たくさんの人に協力してもらいました。

 

ギターの話

高校生の頃、ギターを始めました。

 

自己流でギターを覚えて、杉田ジローの人力飛行機を弾いていました。

学校のある日の昼休み、視覚聴室の隅で、

話したこともない上級生の二人がギターを弾いていました。

曲はかぐや姫の「神田川」か何かで、

テープで聴くのと同じ音が出ているのを聴いてびっくりしました。

 

クラスでも、エレキやフォーク、クラシックをやっているのがいました。

エレキをやっていたのはOという名で、

「太陽に吠えろのテーマ」や、古賀メロディーが得意でした。

フォークはH。Fはクラシック。

私はYからクラシックギターの中古を3300円で買って、彼らに教えてもらいました。

 

当時の歌謡界は、桜田淳子、森昌子、山口百恵、朝丘めぐみ、

南紗織、アグネスチャン、野口五郎、西城秀樹、郷ひろみなどが出ていました。

情報源はテレビとラジオ、雑誌の平凡、明星でした。

テレビドラマは「太陽に吠えろ」が続いていて、

松田優作のジーパンや、勝野洋のテキサスが出ていました。

 

土曜の午後はラジオのベストテンがあって、これは欠かせません。

やっと出回ってきたラジカセのスイッチに手を置いて、

気に入った曲を録音していました。

夜は、ヤングタウン東京やセイヤング、パックインミュージックがありました。

水曜パックはきんきんケロンパで、右向きポール、左向きポール、

我慢したおならはどこへ行くのか、が話題になっていました。

落合恵子のセイヤングで、グレープの「精霊流し」を初めて聴きました。

 

フォーク界では反戦フォークが影をひそめ、

吉田拓郎、かぐや姫、陽水、などがメジャーになっていました。

吉田拓郎が「結婚しようよ」、あのねのねが「あかとんぼの唄」、

かぐや姫は「神田川」、海援隊が「母に捧げるバラード」、チューリップが「心の旅」・・・。

 

ギターの練習曲は、そうした売れている曲。

雑誌の平凡、明星の付録、ヤンソンを見ながら弾いていました。

その他に、Hの影響で、五つの赤い風船、イルカ、かぐや姫、NSPなど、

LPアルバムの中の曲をやっていました。

 

学校から帰ってくると、毎晩ギターを弾いていました。

本当に毎日手にしていました。

高校3年まで、友達とは学校やそれぞれの家で、時々練習していました。

 

Hは頭が良くて、クラスでも上位。

楽譜が読めるので、リードギターを教えてくれました。

Mは麻雀、無線、電気・電子に明るくて、麻雀を教わりました。

私はバイクに乗っていて、Mの家に行く時はHを後ろに乗せ、ギターを持って行きました。

私とHがMにギターを教え、Mと私がHに麻雀を教えました。

 

3年の初夏、Hが文化祭に出よう、と言い出して、

私とギター初心者のMがそれに乗りました。

NSPという3人組のフォークバンドの曲をやることになって、

3人の練習が始まりました。

Mは夏休みの間に基本をマスターして、リードギターまでできるようになりました。

 

Mは人懐こくて、電車でかわいい子を見つけると、

平気で話しかけて友達になります。

Hはファンが多くて、でも本人は女に興味がありません。

 

学校で練習するようになると、

いつの間にか私たち3人に親衛隊のようなのが3〜4人ついていました。

1年生の女の子です。

きっかけはMのようで、Hのファンもいました。

帰りのバスや電車、いつも一緒に帰るようになりました。

文化祭が近づいて、Mの家で合宿をやろうということになりました。

 

遅くまでギターの練習をして、女の子たちも一緒です。

夜遅く、女の子たちは近くに住んでる子の家に泊まって、

翌日はカレーを作ってくれました。

 

本番は教室でNSPの曲、20何曲をやりました。

親衛隊の子がラジカセを用意してくれて、録音してくれました。

その時のステージを。

音は相当悪いですが、貴重品です。

 

曲はNSP、作詞・作曲は多分、天野滋。

本人に無断ですが、連絡の取りようがありません。

問題があったらその時に考えます。

では、ワンフレーズだけ

 

水信子 [作詞・作曲 天野滋]

茶店を出ると雪景色 白い絨毯一足一足

あの子の足跡小さめな 震える体に落ちてくる

雪の降る夜土曜の夜に まつげの雪が落ちて流れて

 

歌っているのがH。エレキのリードが私。ちゅちゅちゅ・・・とバックコーラスがM。

 

そうそう、

当時、自分で曲を作り始めて、最初に作ったのが、夏の浜辺。

キャロルの「浜辺の思い出」?という曲があって、

♪あの時二人歩いた 浜辺の思い出〜〜〜

それに似てしまった曲。

 

オリジナル曲は最近までポツポツと作っていました。

最近のでは、「うちのクリスマス」

一度ステージでやったことがあります。

ここの所、ギターはサボっています。

 

ここまでお付き合い頂いて、ありがとうございました。

 

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